怒りと愛

そうは言っても、僕の努力の最大の原動力は、≪怒り≫だったはず…。
やっかいなのは、≪怒り≫というのは、それ自体、自己破壊衝動にもなり得る、ということ。 怒りがあまりに強いにもかかわらず、「敵が見えない」「無力すぎる」としたら、自分を殺すしかない*1


くり返し取り上げているドストエフスキーのセリフ、「地獄とは、≪もはや愛せない≫ということだ」。 → 「怒り」だけでは、何かまずいのではないか。
ああ、またしても、愛情生活の話をしなければならないのか?…


「孤軍奮闘」は、まずいのではないか。 孤立して、「自分だけのために」というのは。
大切な人がいて、「その人のために」努力する ―― そういう要因が、必要なんではないか。 「守ってあげたい」とか。
→ 愛されることがなく、「守ってあげたい」という願望が相手の迷惑にしかならない人は?…。


怒ることにも、愛することにもインポテンツ…







*1:怒りがひどすぎて自殺する人はいくらでもいる…。