親が本人に「義務」を突きつける場合は、

直接トバッチリを受けている存在ですから「契約」を結ぶための直接対決、ということになるでしょうか。ただしそこで何が「義務」となるかは、とても難しい議題です。親はたしかに子を養っていますが、子は自分で望んで生まれてきたのではない。親が「生きたければ仕事しろ」と詰め寄れば、子はそこで味わう激痛と「生きたい」という欲望とを天秤にかけはじめる。ここにもやはり、親の側の「苦痛・欲望」と、子の側の「苦痛・欲望」との拮抗関係があります。双方が納得できる形の「義務」を対話の中で設定するしかないでしょうが、多くの場合は「お金がなくなるまで、黙ってゴリ押しでいつの間にか緊張に満ちた均衡関係が続いてゆく」感じでしょうか。無理に議論を試みても、たいていは力関係の差から「親が子供に説教する」か、逆に子供が一方的に親を組み伏せる形になるでしょう。どちらにしても不毛です。(法的には、成人して以後には親には扶養義務はなくて、むしろ親が弱った時には子供の側に扶養義務が発生するのかな? ただし、法律で義務や権限を謳っても、それ自体は家を出るモチベーションにはなりません。)