本屋を出て

 こんなことを考えながら歩いていた。時間経験が没頭経験の継続である必要がある。それ以外の仕方ではほとんど支えられない。とくに僕はもう35歳だ。かつての僕にとってはもう死んでもいい歳。ナルシシズムでは自分を支えられない。鏡像は文字通り見るのも嫌。
 時間経験が、「快感の糸をたどるような」作業でないと。快感体験はいい加減なことをやっていたのではもたらされない。勤勉だけが私に快感をもたらす。(性活動は、誰にとってもきわめて真剣かつ勤勉だ。)
 アルコールに依存するように言語に依存する。読み、語り、聞き、書くこと。僕の没頭の心棒だけを残して他は無視すること。そういう信仰生活のような没頭生活のみが僕に綱渡りを許すのではないか。言葉はすぐに座礁して快感の糸を見失うけれど。