欲望

 僕が理論に興味を向けるのは、どうも自分の欲望を正当化したい、「自分はコレを欲望しているのだ」ということを自分自身に向けて説得したい、ということじゃないか。なんでそういうことをせねばならんかというと、欲望が弱いから。理論的に説明したいという欲望自体が弱いのだから、どうにもならん。よくあるたとえだけど、「自分の髪の毛を引っ張って自分を宙に持ち上げるようなもの」。
 昨日「人を魅惑するものを作らなければ」と言ったけど、人を魅惑する人、あるいは人を魅惑するものを作れる人というのは、要するに「偉大な欲望人」ではないか?
 「人間の欲望は他者の欲望である」といって、そうすると他者たちに立ち交わらねば欲望も持てないわけだが、たしかに僕も他者の発言に触れた時に何か言いたくなったりしている。いや、たいていは強引に押し付けられる「べき」論の中で窒息して途方に暮れるのだけど。
 ひきこもりに対しては「家を出るべき」というべき論がどうしても優先してしまうけど、いちばん根本には「〜したい」が来ないとどうにもならない。
 「唯一の到達可能な欲望は、自殺だ」という言葉があったけど、死なずにわざわざ生きる欲望はどういうものか。「実は死にたがっている」ことに気付くのが恐いから、みんな何かを欲望しているふりをしているんじゃないの?