作品づくり

 何かアクションを起こせば、おのずと立場が問われる。そのときに、理論的に考える必要が出てくる。単なる「感想」や「印象」ではない形で自分の正当性を試みること。(ひきこもりの世界はあまりに無手勝流だ。)
 よく言われることだが、理論において喫緊の課題は、「魅惑すること」ではないだろうか。難しいことを考える人はたくさんいる。でも、「魅惑する」ことに成功することはなかなかない。その意味で東浩紀氏は稀有の存在だと思う。僕は彼の何が自分を魅惑したかについてまだよく分かっていないが、「新しい知性のスタイル」を見せつけられたように感じた。
 その東氏はどこかで、「理論的に考えるとはどういうことか」という問題提起をしていた。自分の言葉が軽率に流れていってしまう感覚に苦しんでいる僕も他人事でない。