ホンバン

 トラウマやPTSDをテーマにした場合、対象が研究者(あるいは支援者)をその対象そのものの文化的豊かさによって魅惑する、ということはない。無数の悲惨な事実は、むしろ観察者を疲弊させる。研究書は往々にしてお互いにひどく似通ってしまう、貧困なまま。悲惨さに直面した言葉は、個々のケースに則してひどく具体的で断片的であるべきに見える。抽象に関わって具体を貧しくする、というのではない議論の難しさ。
 僕は「意味」を求めてきた。しかし極端な悲惨さや絶えがたい喪失は、意味など跡形もなく蒸発させてしまう。その蒸発に抗って考えること。意味にすがりつくのではなく。
 言葉がそうだが、まったくの断片は意味を成さない。しかし自閉的な言葉はまた意味を失ってゆく。
 落ち着いた意味が必要だ。僕らの言葉はあまりにもいろんな要請に晒されていて、あまりにも動揺している。