歴史

 外傷神経症に関して取り組んだ研究者はすべて、これまでに誰一人としてこの外傷神経症という問題を扱ったことがないかのごとく、この問題の探求を、あたかも自分に与えられた聖なる使命であるかのごとく、常にゼロから開始してきたという嘆かわしき事実がある。(『トラウマティック・ストレス』より孫引き)

 トラウマに関して歴史を問題にできるのは、その文化的受容の側面だけだ。受容のあり方がトラウマを決定付ける、ということからしても、やはり文化的側面は大事。
 記憶は常に、漂白や抑圧と戦っている。――フランス現代思想の戦場はこの辺にあると思っているのだけれど。
 問題は<怒り>であり、だからそれはとっても政治的なものではないか?
 僕はひきこもりに関しても同じことを考えている。