引きこもりは結局は労働問題だ

引きこもりが価値観や生き方(自分は何のために生まれてきたのか)の根本的な洗い直しを求めてくるにしても,それが現実的な経済生活を生み出さないならば,むなしい抽象談義でしかない.現実的な一歩をまったく踏み出せない,硬直した《問いの牢獄》.
なぜ考え込んでしまうのか? 僕らの人生観が,恐怖イメージ一色に染まっているからだ。 《この世に居場所はない》
以下の僕の提案は,この硬直した恐怖を和らげるための《別種の体験》を模索している.

(1)『ニュー・スタート』関係者内での相互雇用

引きこもりの人間の多くが,まったく知らない人間しかいない職場への就労に挫折している.雇用先の子どもも「引きこもり」であるならば,仕事をしやすくないか?
つまり,『ニュー・スタート』に関わる親御さんで,自分が人を雇う立場におられる方々(会社経営・自営業など)に,引きこもっている子供たちを相互にアルバイトで雇いあっていただく(クロス雇用の試み).
もちろん,雇用契約は正規のものであり,仕事上の甘えは許されない.ただ,同じ「引きこもり」という問いを共有した人間関係が,そこにはあり得るのではないか?

(2)相互ホームパーティ

(1)と同じく,『ニュー・スタート』で知り合った家族同士でお互いに訪問し合ってホーム・パーティを開く.ただし,引きこもっている本人がそこに参加するかどうかは決して強制してはならない.

(3)地域通貨LETS(Local Exchange Trading System)

自分たち自身で運用・活用する決済システムを導入してみてはどうか.
紙幣などを発行するのではなく,その都度の支払いは手に持った通帳への相互の書き込みを通じて行い,後にパソコン内に用意されたそれぞれの口座内容を更新するという仕組み.
僕はいま,京都でこの「LETS」という決済システムを立ち上げるべく準備中だが,何度か体験ゲームを皆さんとやってみて,これが人の心の模様までも変える効果を持つことを痛感している.別種の労働体験が味わえるのだ.




既存の働きの場に活路がないなら,「自分を社会に売り飛ばす」発想を捨てて,「自分たちで働く場所を作る」やり方を共同で模索すればいい.僕らに必要なのは,人間関係に繋がっていくためのちょっとしたきっかけとスタイルであり,そのためのヒントをくれる社会的な仕掛けだ.
もちろん,《生まれてきた意味》への探求は続いてゆくだろう.しかし,その問い方は変えられるかもしれない.