連続エントリ:
- 第1回 「《つながりの作法》 としての差別」
- 第2回 「《不定詞の束としての人格》という考え方」
- 第3回 「生の様式そのものとしての不定詞 infinitif」
- 第4回 「差別と批判の見分け方」(今回)
- 第5回 「【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化」
【承前】 3回にわたってエントリしてきましたが、今回でようやく核心です。
批判的な議論をするとき、それが「意図せざる差別」なのか、それともフェアな批判なのか、よくわかりません。 この違いを明らかにしておかないと、
- 「差別される側のやってることは、誰も批判できない」 「被差別部落のことは、論じちゃいけないのか」
になって、みんなが萎縮してしまいます。
私の提案するポイントは、《名詞か、動詞か》 という一点だけです。