おことわり

貴戸理恵氏の著作『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』について、「見解」を発表した*1東京シューレ、及びそれに対する「コメント」を公表した貴戸理恵氏の双方に対し、メールにて取材を申し込んだ。
東京シューレからは、貴戸氏に関する言及を一切いただけず、「多忙」を理由に取材を受けていただけなかった貴戸理恵氏からは、電話・メールにより、数回お話を伺うことができた。
私見に基づいて、簡単にご報告する。



*1:【追記】: 2005年11月4日現在、削除されている。

前提

東京シューレ「見解」については、「調査・出版の≪手続き≫への抗議」と、「不登校≪解釈≫への反論」とを混同すべきではない。 ≪解釈≫については、今後も議論を続けてゆけばよいのであり、出版物に介入する「修正要求」自体がおかしい*1。 貴戸氏に問題があり得るとすれば、≪手続き(調査倫理)≫に関してであって、事実確認と検証の緊急性はそちらにのみある。



*1:今回の場合、明白な中傷や差別表現等があったわけではない。

事実確認

「何があったか」をわかりやすく検証するために、時系列箇条書きのフォーマットを貴戸理恵氏にメールでお送りし、ご自身に執筆していただいた*1。 以下、貴戸氏による校正済みの文章をそのまま転載する。 ただし、争点に関係する重要な事実確認については、貴戸氏から最終稿を受け取った後、報告者である私が勝手に強調した。

■2002年7月〜
インタビュー調査を開始する。 情報提供者(インタビューに協力してくれた<当事者>たち)へのアクセスは、 (1)横浜市の「親の会」を通じてその息子・娘を紹介してもらう、 (2)東京シューレ関係のイベントに参加し、東京シューレ出身の不登校経験者と知り合う、 (3)そのようにして知り合った人にさらに知人を紹介してもらう、 という方法で行う。 その際、貴戸自身が不登校経験を持ち自分の問題としてこの領域に関心を寄せていること、大学に提出する論文の取材であることを、事前に手紙・Eメールあるいは口頭で全員に告げている


■2003年9月〜11月
情報提供者全員に作成中の論文のケースレポート部分を郵送あるいは対面にて渡し、論文に掲載してよいかどうか許可を得る。 訂正・削除の要求は全面的に受け入れる。


■2003年12月
修士論文不登校経験の意味付けとその変容』を東京大学大学院総合文化研究科に提出。 提出後に届いた情報提供者からのケースレポートの訂正・削除の要求を同様に受け入れる。 また、連絡がつかず「掲載可」の返信が得られなかった情報提供者のケースレポートを削除する。 結果的に2名のケースレポートを削除したものが修士論文として承認される。


■2004年1月〜4月
ケースレポートを含む修士論文全体を、情報提供者に郵送あるいは対面にて渡す。 東京シューレによる「見解」手記を寄せたシューレ大学に所属する二人の情報提供者については、対面にて二人に一冊を寄託し、二人および関係者が閲覧できるよう依頼する。 また、シューレ大学のスタッフにも修士論文全体を一冊手渡す。


■2004年4月〜7月
論文が単行本として出版されることについて、対面・電話あるいはメールで、情報提供者全員に許可を取る。要望に応じて、3名の情報提供者についてはこのときにさらにケースレポートを修正する。
なお、東京シューレに関する記述は公刊物からの引用に基づいており、東京シューレでのフィールドワークや奥地圭子氏へのインタビューなどは行っていないことから、団体としての東京シューレおよびその代表である奥地圭子氏には許可を得る必要を認めなかった(貴戸「コメント」参照)。 ただし、シューレ大学のスタッフには、出版の予定がある事実を報告している。


■2004年11月
不登校は終わらない』出版。


■2004年12月〜2005年1月
奥地圭子氏から電話連絡を受け、シューレ大学にて貴戸と東京シューレ関係者10名弱で『不登校は終わらない』の内容について話し合う。 話し合いは2度行われる。


■2005年2月
初旬、重版が決定する。 貴戸から東京シューレに「できるだけ対応するので訂正を希望する箇所を示してほしい」と要望する。 2月14日に貴戸がシューレ大学を訪問し、260箇所あまりの修正要求書を受け取る。 1)情報提供者個人から要求のあった発言内容の削除・修正および匿名性への配慮、 2)事実誤認や誤字脱字の修正、 3)より誤解を少なくする表現への改訂を中心に50箇所あまりを修正し、第2版を出版する。
東京シューレ「見解」に手記を寄せた情報提供者の一人が違和感を表明している「フリースクール批判にも関心を持っている」「フリースクールに一〇年以上所属し、そのなかで学び育った人物によって担われるとき、(中略)<「居場所」関係者>にとってもっとも核心を突く、手痛いものとなるに違いない」という箇所についても、このときの希望によりすでに削除している(貴戸「コメント」参照)。


■2005年4月8日
東京シューレ「見解」をシューレHP上にて公表。


■2005年4月26日
貴戸理恵、シューレ「見解」への「コメント」をHP上に公表。(HTML版


* その他
・現在のところ、 出版後に発言部分の削除・修正の要求のあった情報提供者は、東京シューレの「見解」に手記を寄せた二人。




*1:さらに詳しくは、もちろん貴戸理恵「コメント」を参照していただきたい。

要点

双方のネット上文書、貴戸氏への取材、それに『不登校は終わらない』の再読から、次のような事実が確認できる。 これは私がまとめ、事実関係のみを貴戸氏にチェックいただいた。 強調は、貴戸氏によるチェック後に私がおこなった。

  • 貴戸理恵氏は、シューレ経験者8名を含め、取材対象者15名全員から出版許可を得た上で、初版を出版している。
  • 初版出版後の削除・修正要求は、「見解」に手記を寄せた2名からのみ。 取材対象者中この2名のみが「シューレ大学」に在籍中で、不登校を研究している
  • 貴戸氏は、東京シューレ奥地圭子氏には取材を行なっておらず、言及や引用は公刊物のみを参照したため、奥地圭子氏に出版許可を取る必要はないと判断した。
  • 貴戸氏は初版出版後、第2版出版前にシューレ側と話し合いを持ち、260箇所あまりの修正要求書を受け取っていたが、「取材対象者からの削除・修正要求」と、「誤字脱字・事実誤認の修正」のみに応じ、≪解釈≫レベルで意見を一致させる修正要求には応じなかった。
  • シューレ「見解」に手記を寄せた取材対象者2名は、初版出版後に出版許可をひるがえしている。 貴戸氏は第2版で彼らの削除・修正要求に全面的に応じたが、「見解」に掲載された手記は、削除・修正の完遂を踏まえた上で提出されている




調査倫理について

貴戸氏の手続き上唯一疑問が残るのは、「初版出版前に奥地圭子氏に直接許可を取らなかった」ということだが、取材対象者の発言内容について、奥地圭子氏に検閲権限があるのだろうか。
貴戸氏は、第2版出版前には東京シューレから修正要求表を受け取っており、その上で現状の重版に踏み切っている。 つまり第2版の問題は、「許可を取ったか否か」ではなく、「シューレ側が同意できない解釈を主張している」ことである*1
貴戸氏が削除・修正に応じて以後に当事者2名がおこなったクレームは、「手続きへの抗議」ではなく、「解釈レベルへの反論」でしかあり得ない。


以上を踏まえた上で、なお貴戸氏の「調査倫理」に問題があるとする者は、次のように主張していることになる。 (これは私によるまとめで、貴戸氏の見解ではない。)

    • 取材対象者(インフォーマント)*2から得た情報については、取材対象者本人のみならず、その人物の所属団体トップにも出版・公開許可を取らねばならない。 取材対象者本人には、自分の情報について許可を与える最終権限がない。
    • 公刊物に基づく言及・引用についても、当該団体や発言者に直接許可を取らねばならない*3
    • 取材対象者および関係団体トップ全員から、≪解釈≫レベルでの同意を取り付けねばならない。
    • 事前に出版許可を得ていても、出版後にその許可をひるがえされれば、著者が道義的に責任を負う。 重版時に削除・修正要求に全面的に応じても、さらに非難され続ける義務がある。

「シューレ大学」の2名がどうして出版後に許可をひるがえしたか、その理由について本人たちに取材したかったが、今回はシューレ側に取材に応じていただけなかったため*4、断念した。



*1:念のため繰り返せば、取材対象者15名中7名は、シューレとは無関係である(所属経験がない)。

*2:informant、情報提供者

*3:「当事者」の場合には、インタビューにあってすら「発言者本人」に許可権限がないが、それ以外の発言者の場合には、公刊物への言及に対してすら検閲権限がある、と主張していることになる。

*4:あくまで感情レベルの要因としてだが、今回の案件がシューレの「20周年」の時期にちょうど重なってしまったのは、いかにも間が悪い・・・・。

疑問

取材対象者の一人であり、東京シューレに所属経験のある常野雄次郎id:toled)氏によれば、実は奥地圭子氏の著作自身が、手続きに疑問を抱えている

なお、同じような危うさは東京シューレ主宰者の奥地圭子さんも抱えています。 彼女はこれまで、著書の中で僕を含む複数のシューレ出身者のことを本人に無断で書いてきました。 僕自身は決して傷つくことはありませんでしたが。

解釈結果の問題と、手続き上の倫理の問題とは、分けて考える必要がある。
奥地圭子氏は、結果から遡って手続きの正当性を判断しているように思われる。 解釈が正しければ手続きを間違っていても構わないが、解釈が間違っていれば、手続きはさかのぼって糾弾される。
貴戸理恵氏は、手続きを踏まえる努力をした後で、自由に解釈を模索している*1。 手続きについては、どこまでも譲歩して修正に応じているが、模索中の解釈については、修正要求に応じていない。



*1:解釈そのものの正しさは、ここではまた別に検討すべき問題である。 貴戸氏の解釈が間違っている可能性は、もちろんあり得る。

≪当事者≫について

不登校は終わらない』の調査倫理については、「当事者が当事者を取材する」という、≪当事者学≫独特の事情も絡んでいる。 またシューレ「見解」が、「当事者の手記」掲載に独自の政治的意味を込めているのも明らかである*1
今回の私のレポート作成にあたっては、できれば「見解」に手記を寄せた2名にも取材を試みたかったが、「ここで当事者本人を取材対象にしてもよいのか」という非難すらあり得る。
これについては、項を改める。 → レポート(2)





*1:「貴戸氏に取材を受けたシューレ関係の当事者」という意味で、「見解」に手記を寄せた2名と同じ立場にある常野雄次郎氏は、『不登校は終わらない』を支持している東京シューレ側は、常野氏のこの発言をどう考えるのだろうか。