やしきたかじんの『そこまで言って委員会』で、「ニート」を取り上げていた。*9
●司会: やしきたかじん、辛坊治郎
●出演*1: 三宅久之(政治評論家)、 荻原博子(経済ジャーナリスト)、 江本孟紀(野球解説者・元参議院議員)、 宮崎哲弥(評論家)、 橋下徹(『行列のできる法律相談所』出演の弁護士)、 金村義明(野球解説者)、 桂ざこば(落語家)、 山口もえ(タレント)
厚生労働省はニート対策を「若者人間力強化プロジェクト」と名付け、来年度予算で231億円を要求。 合宿形式の集団生活で、働く意欲の向上を目指す「若者自立塾」の新設などを盛り込む。
厚労相、文科相、経産相らが参加する「若者自立・挑戦戦略会議」は、ニート対策を含む若者への就業支援として、来年度予算で810億円を要求している。 財政難にもかかわらず、前年度比54%増。*2
スタジオにいる全員がこの情報に激怒 :
出演各氏の提案する「ニート対策」
- 三宅久之氏: 「国際緊急援助隊に強制入隊させる」
- 他の出演者の「あんな甘ったれた連中に勤まるか?」という声に、「むかし自衛隊でそういう連中を勧誘した時期があったが、勤まっているらしい。 銃を持たせると変わるようだ」。
- 荻原博子氏: 「20歳になったら家を出す」
- 「いつまでも家に居させてしまうような(ダメな)親たちなんでしょう」
- 桂ざこば氏: 「両親がしっかりしろ」
- 「うちの娘は高校卒業後、『就職したくない、遊びたい。 やりたいこともない』と言ったが、1年後には自発的に働き出した。 あのまま娘が潰れとったら、親の責任もあると思う」
- 「(ニートが)これだけたくさん出てきてるということは、本人だけやなくて、周囲や日本の国にもおかしなところがあるということや」
- 山口もえ氏: 「恋愛」
- 山口:「恋をするとやる気が出るじゃないですか」
- たかじん:「ああいう連中はな、女ができたら金を巻き上げよるんじゃ」(女性に養われる男性を指す「ヒモ」という侮辱語がふつうに使われていた。)
*1:【追記】:こちらの記事で漢字の誤りに気づいたのですが、2007年12月23日まで、「拘留の上、労役を課す」と書いていました。すみません・・・。
*2:失念していたのですが、次の桂ざこば氏の見解とともに、『ぶこつイーター』さん情報を参考にしました。
政治意識
- 「自発的無業」をすぐさま非難するべきだとは思わない。 働かなくても生きていられること自体は、悪いことでも何でもないし、個人的にはむしろ喜ぶべきこと(環境が許すなら)。
- しかし、「放っておいたら将来どうなるか」に対する危機意識も想像力もないとすれば、どうしようもない(これは宮崎哲弥氏が指摘)。 生活保護をアテにできると本気で思っているのだろうか*1。
- 政治的な意識が決定的に欠如している。 苦しんで働いている人たちが無業者をどう見ているか、少しでも考えているのか。
- いや、常に非難されるからこそ、こういうあてつけめいた発言も出るのだろうが、誰かに経済的に依存しなければ生きていられない ―― しかも「障害」があるわけでもない(と見なされる)―― 人間がこういう発言をすれば、どういうことになるか。 政治的計算があるとはとても思えない。 → 僕がこういう連中と同一視され、その発言の尻拭いをさせられるとしたらたまらない。
素材として
- たとえば今回の『そこまで言って委員会』の録画を、親の会や当事者の集まりで上映し、議論すればいいのではないか。
- どのような論点があり、責められるとすればどのようにしてなのか。 反論するとしたらどうするのか。 たとえば自分があのスタジオにいたら、なんて言い返す?
- 「あの出演者は間違ってる」だけでは済まないのでは。 あれだけ人気のある番組で、出演者の誰も「ニート」を擁護せず、「税金を使いやがって!」の大合唱。 それが現実のはず。
vivid な論点
番組では、やはりニートに対して「生きろ!」という命令形しか出なかった。 みんな苛立ち、基本的に説教したがっている。 「殴りつけて強制的に何かさせなければならない」と思っている。
もしあの場で、当事者の誰かが「生きたくない。 『養ってくれ』とは言わないから、せめて安楽死のセンターを作ってもらえないだろうか」と言ったら、あの出演者たちは何と言うだろう。
ひきこもりとニートは同じではないので慎重に論じる必要があるが、ひきこもり当事者で、「親が代わりに年金を払ってくれる」ことにものすごい罪悪感を感じている人は多い(何度も直接打ち明けられた)。 親に負担をかけている申し訳なさと同時に、「年金受給開始年齢まで生きたくない」と本気で思っているのだ。
「本当に死にたいと思っているのか」、「生きようという意志は本当にないのか」という点については、もちろん葛藤があって当たり前だし、どんどん議論すればいい。 でも、「生きることしか許さない」という説教には、ものすごい欺瞞を感じるのだが。
それともやはり、「自逝センター」(公共安楽死施設)などができてしまえば、「怒りに満ちた労働者たち」が、ニートや引きこもりを強制的に送り込んで抹殺しようとするのか。 【cf. 世界中の障害者団体は、必ず安楽死法案には反対している。 「都合のよい自己決定」参照。】
弱者でも生きていけるための人的・社会的環境整備は、可能なかぎり、徹底的に続けるべきだ(死を強制することがあっては断じてならない)。
しかし、100%の全面的カバーは絶対に不可能。
「楽に死ねる」という選択肢が、どうして許されないのか。*1
以前一度話題にしたものの、危険だし、あまりに現実味がないので放置していたが、やはり「議論を明確にする論点」としては、≪安楽死≫は有効ということだろうか。
【追記】
誤解のないように(といってもどうせ誤解されるのだろうが)付け加えておけば、「自逝センター」のようなものができたとして、それを真っ先に利用したいのは僕自身だ。
僕は今後も、「元気に楽しく生きていく」ための努力を続ける。 ひょっとしたらその努力が実を結び、僕は明るく仕事をできる状態に落ち着けるかもしれない。 そうなれたらいいと思っている。 だがそうなったとして、そのときには僕の「自逝センター」云々の主張は、「上山は自分以外の当事者を抹殺しようとしている」という話になるのだろうか。 ―― そんなバカな。 冗談じゃない。
僕が真っ先に目指しているのは、「現状では引きこもるしかないような人でさえ生きていける(働ける)ような環境作り」であり、一種の「精神的バリアフリー」な社会だ(当たり前だ)。 だが――繰り返しになるが――それを「理想」として掲げ、努力するのはいいとして、しかし現実にはそんな社会は遥か未来だろうし、そもそもやってこないかもしれない。 救済されないまま追い詰められる人がほとんどなのであり、それを放置するのは冷酷すぎるのではないか、という話をしている。*2
激痛に苦しむ社会的弱者のために具体的な行動を起こしていない人物が「命を大切に」と主張する ―― こんなに偽善的なことがあるだろうか。 弱者を、悲惨の中に放置しているだけだ。
「協力するから、一緒に努力しよう。 どうしてもダメなら、なるだけ楽に死ねる方法を考えよう」―― これのどこが「非人道的」なのか。*3
ようやく気付いたのだが、どうやらこのあたりの話は、社会保障などの≪政策論≫と、≪バイオエシックス(生命倫理)≫(自己決定権など)の話が切り結ぶ交点ではないのか。 【気付くの遅すぎ(泣)】
*1:「死にたいなら自分で首を吊れ、≪安楽死センター≫だなんて、税金に頼るな」という声もあるようです。 しかし、それは自殺者やホームレスを「迷惑」としか考えない発想と類縁では。 一種の黙殺であり、「社会にはそんな問題はなかったことにする」という態度ではないでしょうか。 「生きていかれない人間に、安楽な死を用意する」というのは、人道上も意味があると思うのですが。
*2:「自逝センター」に、政治的な現実味がほとんどないことも承知している。 だが少なくとも、論点の整理には役立つはずだ。
*3:アメリカでは、人工妊娠中絶に反対する人物が、中絶手術を続ける産婦人科医を射殺した 【完全な確信犯であり、処刑される前日には笑顔で記者会見を開いた。 こちらには犯人を支持するプラカードも見える】。 「胎児を殺してはならない」と主張する人たち(強姦被害による中絶すら認めないことがあるらしい)が、「望まない出産」後の女性や子供の面倒を見ることがあるのだろうか。 「命を大切に」と一つ覚えに主張する人々の、とてつもない欺瞞を感じる。