和樹と環のひきこもり社会論(27)

(27)【「ひきうけ」の破綻としてのひきこもり】 上山和樹 脳に関する本は、ほとんど興味がありません。「仕事や家事は脳がよくなる」というのですが、ひきこもりにおいて本当に問題になっているのは、脳の不活性というよりも、「引き受ける」という人文的な…

和樹と環のひきこもり社会論(25)

(25) 【度外れた極端な弱さ】 上山和樹 「生きることに意味がないと感じるのは、そもそも意味なんかないからだ。行動する身体になりきることで、こだわりを捨てなさい」――これはたしかに魅力的です。「農業を体験してみよう」など、行動療法的な「支援」事業…

和樹と環のひきこもり社会論(23)

(23)【「苦しむために生きる」という非合理】 上山和樹 ひきこもりのリアリティについて報告しようとすることの悩ましさは、それを本当に感じてしまっては社会から離脱するしかなくなるし、それを単に忘れてしまっては、報告できないということです。社会順…

和樹と環のひきこもり社会論(21)

(21)【合理性から抜けられない】*1 上山和樹 「無駄な事だと思うだろう? でもやるんだよ!」――なるほど、これは励みになりますね。でも、この名言の元になったという、「犬のエサ用タライをわざわざ洗剤で丁寧に洗う行為」は、ひきこもりの状況に置き換えて…

和樹と環のひきこもり社会論(19)

(19)【逃げられない動機づけ】 上山和樹 「なぜそれをするのですか?」。これは、ひきこもりについて考えるときに、どうしても必要な問いだと思います。 欲望がないと言いながら情熱的にひきこもり論を続ける私の矛盾をついたあと、斎藤さんは、ご自分の欲望…

和樹と環のひきこもり社会論(17)

(17)【少し議論を整理します】 上山和樹 「ひきこもりというのは、精神でも身体でもなく、自由そのものに障碍がある状態だ」というのが、この往復書簡の(不可解な)出発点でした。そこで私たちの課題は、その「自由の障碍」の中身について検討し、「どうす…

和樹と環のひきこもり社会論(15)

(15)【洗脳拒否を共有すること】 上山和樹 「自分の人生はこれでいい」という納得は、私たちはどのように調達しているのか、あまり意識していません。死別や事故、思いがけない心身症、耐え難い人間関係、あるいはよくわからない意識の混乱によって、それま…

和樹と環のひきこもり社会論(13)

(13)【「社会参加」という信仰生活】 上山和樹 斎藤さんのおっしゃる「究極の結論」――なぜ究極なのでしょうか――に行く前に、その議論の前提を成す事情説明を、もう少しさせてください。すごく分かりにくい話だし、お互いに勘違いしてるかもしれないので・・…

和樹と環のひきこもり社会論(11)

(11)【「メタ信仰学」について】 上山和樹 率直にお聞きします。斎藤さん、「必然性のもとで行動している人」というのは、「信仰のもとで行動している人」と言い換えてはいけませんか? 「理由が説明できる行動には必然性がない」「説明できれば必然性は消え…

和樹と環のひきこもり社会論(9)

(9)【必然性の門】 上山和樹 「社会参加への欲望と、社会そのものへの絶望が共存する時、欲望と義務は一致する」。これは本当に核心的なご指摘です。 欲望と義務が一致すると聞かされて、私が真っ先に思い浮かべた言葉が、「必然性」でした。生きている自分…

和樹と環のひきこもり社会論(7)

(7)【「娑婆から出てはならない」という掟】 上山和樹 カフカの『掟の門』と芥川の『河童』から、掟の門を「産道」と捉える解釈を示していただきました。ひきこもっている状況は、「生まれたくない」、つまり「くぐりたくもない」門の前で通行止めにあってい…

和樹と環のひきこもり社会論(5)

続いて(5)です。 (5)【欲望することは義務か?】 上山和樹 斎藤さんから、「自由」というテーマに関し、「欲望を行為に変換する可能性の幅のこと」という説明と、カフカの寓話「掟の門」を出していただきました。それで何よりも思い出したのは、芥川龍之介…

和樹と環のひきこもり社会論(3)

前回の(1)に続いて、(3)を公開します。 往復書簡ですので(2)は斎藤環さんの番ですが、ここでは公開できません。 (3) 【自殺的な自由】 上山和樹 「どうすれば本人が自由になれるかに照準した発想が必要だ」という斎藤さんのご提案にまずは全面的に同意…

和樹と環のひきこもり社会論(1)

私は2006年(平成18年)から2008年にかけて、斎藤環氏との公開往復書簡を行ないました。『ビッグイシュー』という雑誌誌上でのことです。かなり好評も頂いたのですが、斎藤氏が私の問題意識に激怒し、一方的に降りられるという形で幕を閉じ――これをきっかけ…

ひきこもり問題が広く知られてもうすぐ20年

規範的に説教するか、丸ごと受け入れるか――そのどちらかしかできない支援では、《体験の内側から試行錯誤のありようを語りなおす》ということは出来ません。そうすると、ひきこもり問題の核心部分を論じられない。ひきこもりの話が、いつまでたっても「自分…

動詞的・身体的な技法の多様性

理論と規範ではなく、技法論的な当事者性から考えたい。 そういう私の視点にとって大事な話をしている論考から引用メモ。*1 野口裕之「動法と内観的身体」(PDF)より 先人達が拓いた無形の遺範でありながら、現在は既に風化しつつあるこの伝統的身体運動を、…

文字起こし【メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺】(新唐人テレビ)

メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺 データもたくさんあり、衝撃的な内容がよく纏まっているので、字幕を書き起こしてみます。 もくじ 動画内に登場する語り手たちが著者である書籍: 動画の字幕より: メディカル・ジェ…

研究メモ

《言説が生を収奪する》というテーマ マルクス『資本論』は、言説による生の収奪について、メカニズムの一部を調べた。 「名詞と論理」への過剰な還元は生の時間を疎外するが、だからと言って名詞と論理なしでは生きられない。 学問が、生に寄り添うべき言葉…

当事者主権と歴史修正主義

この上野千鶴子の発言は、実質的に歴史修正主義に居直ってる。 archive.is 日本で「当事者」として発言するとは、歴史修正主義に加担することだった。当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860))作者: 中西正司,上野千鶴子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2003/10…

ゲーデルの時間論についての本

物理理論に登場する時間「t」は、空間の次元3つと同じような扱いになっており、「t」と「-t」の区別がつかない。しかしこれは、実際の時間が一方向でしかあり得ない現実を無視している。 この理論的に位置づけられた時間について、ほかでもないゲーデル本人…

移転完了

「はてなダイアリー」のサービス終了予告に合わせ、この「はてなブログ」に移転しました。「はてなダイアリー」での URL は、自動的に転送されるように設定してあります。今後ともよろしく。 参照: d.hatena.ne.jp

「当事者発言」のために必要な信頼

《当事者として考える》というスタンスは、左派の知的コミュニティへの信頼に基づいていたと思う。 「自分の問題を自分で考える」ことに、社会的な敬意を払ってもらえる 彼らにもそういうスタンスを共有してもらえる ――そういう信頼がなければ、いわゆる「当…

NHK プロフェッショナル 仕事の流儀【宇多田ヒカル、創作の舞台裏と素顔に密着!】

本当にいい視聴体験だった。 この人への感覚を言葉にするなら、「尊敬」が近い。 録画してないので、見ながらの走り書きメモ*1: やれることをやるだけでは意味がない。もの作りとは、やれないかもしれないことに踏み出す「冒険」 ふだんは抑えているもの。…

依存症について、《治療》という言葉を軽々しく使う空しさ

酒をやめることに役立つ医療情報というのは、実質的には「ない」。 本当にやめる(というよりやめ続ける)には、やり方を《自分で編み出す》しかない。 この、《やり方を自分で編み出すしかない》という技法の当事者性こそが、現代的な知性に欠けている視点。

当事者性をともなった研究の核心的テーマとしての党派性

党派性というのは、「なろうと思って」なる、という意識的な選択だけのものではない。「いつの間にかそうなっていた」でもある。その党派的傾向性を逸脱するときにも、「わざと悪意で」というより、「なぜかそうなってしまう」がある。*1 ある形で党派性を生…

カフカの門番の口にする「オープンダイアローグ」

フランツ・カフカ『道理の前で』(大久保ゆう・訳) ここに出てくる門番は、世の中の道理≒掟(おきて)を前にした男を脅しつけ、 自分がその《道理》を守っている、というのですが 斎藤環氏は、ご自分をこの門番のようなものだと思っているようです。*1 ――世の…

知性が党派的傾向性を必要とすること

追い詰められているのは、われわれの方ではない。奴らの方が追い詰められているのである。ゆえに、問題はいまや奴らに勝てるかどうかではない。すでに勝利は確定している。真の問題は、この勝利からどれだけ多くのものを引き出せるのか、ということにほかな…

技法論的な「厳密さ」

数学者・黒木玄氏のツイートより: @genkuroki / #数楽 数学者が書いた教科書に数学的に厳密な証明が書いてあ... @genkuroki / #数楽 しかし、へたをするとテキトーなことを言っていると思... 人間の生は、「論理的・数学的に厳密に証明できること」だけで出…

《規範から技法へ》という大きなテーマ

私の取り組みは、入り口としては引きこもりや不登校の問題だったのですがたどり着いたモチーフは、《規範から技法へ》ということになります。 不登校やひきこもりのほかに、差別や虐待の問題でもそうですが「〜するべきではない」と語られがちなテーマは、 …

追い詰められると、問題意識こそが孤立する

順応できなくなると、それだけで頭が一杯になり、他のことが出来なくなる。 そこで、自分で自分の事情を引き受け、やり直さざるを得ない。 自分なりの技法を開発することでしか、しのげない。 私は何とか、技法を開発してきた。それは、問題意識じたいをやり…