2009-11-29から1日間の記事一覧

権力として構成される自分の声を分析する、というのは、フロイト的自己分析の変奏といえる。

「複数の声の中で、自分の声をはっきりさせる」ことは、政治の問題であるとともに、臨床の問題だ。 周囲には複数の声があって、私は自分をどうまとめ上げればいいかが分からなくなる(去勢のフレーム問題)。 自分は、関係の中に与えられている。だから集団…

「階級をときほぐす言語をなぜ持っていないの?」(田中泯)

自分の声でもういちど組み直す、というのは、臨床上どうしても必要なプロセスで、それは「ケア」とも違う。根拠づけの方法を失った現代の私たちは、放っておくと極端に硬直するかインフレを起こすかなので*1、つくるプロセスとして自分をまとめねばならない…

「関係をチェックする仕組み」についても、民主主義のような「必要性と不可能性」がある。

一人ひとりが芸術家として自己成型し、「自分自身が「関係をチェックする仕組み」になろう」と試みることしかできないのではないかと私は悲観している。(重森さん) チェックする仕組み自身がチェックされねばならず、無限後退してしまう。 しかしとはいえ…

複数の声――政治と臨床

重森誠仁(id:Z99)さんから、「関係をチェックする仕組みの必要性とその不可能性」というレスポンスをいただきました。 ありがとうございます。 以下はお返事というより、取り組むべきことを煮詰めようとする関連メモです。