2007-07-19から1日間の記事一覧

「自分を研究する」という動機づけの構造と、公正な吟味

「自分の問題を、自分の言葉で語る」というチャレンジは、社会的な逸脱を経験したことのない人にも開かれている。(むしろ社会的な力を持っている人たちの自己分析こそ、有益であるかもしれない。そのような「当事者研究」を為す人が増えれば増えるほど、こ…

「Nさん問題」

「擁護される側の自分」と、「その自分を対象化する自分」との関係は、貴戸にあっては、すでに「Nさん問題」として論点化していた(参照)。 貴戸のデビュー作『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』は、不登校経験者へのインタビュー取…

「守られる側」と、「守る側」

貴戸が「コドモであり続ける」と主張するとき、そこで守られようとしているのは、不登校状態にあった小学校時代の彼女自身だ(本書の冒頭は、不登校時代の彼女の経験が『長くつしたのピッピ (こども世界名作童話)』に重ねて追想される)。 貴戸は、今でも自…

一人二役

むしろその部分は、「自分以外のつらくなっている人を受け入れる」ことで、免除されているようにすら見える。 「コドモであり続ける」ことは、「次の世代のことを考える」ことと、ぜんぜん矛盾しないんだね。それは、「だって、コドモだもーん」と「義務」や…

「おとな/コドモ」

就職して税金を納め、結婚して家庭を持ち、社会の中で期待される役割をこなしてゆく存在のことを、ここでは「一人前のおとな」と呼んでおこう。(p.35) おとなになるとは、単に順応することであり、「自分の問題を、自分の言葉で語る」ことがないとされる。…

「自分の問題を、自分の言葉で語る」という努力のフレーム

この本では、「コドモである」ということが、「当事者である」ことに重ねられる。 この本が目指してきた「コドモであり続けるためのスキル」の、一番のカギになるところは、「自分の問題を、自分の言葉で語る」ということだった。(p.180) 貴戸の取り組みの…

 貴戸理恵 『コドモであり続けるためのスキル』について 1

はじめに 不登校経験者の立場から不登校を研究する貴戸理恵は、デビュー作『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』以来、《当事者》という言葉のフレームにこだわり続けている。 以下では、貴戸の著書『コドモであり続けるためのスキル (…