2007-05-06から1日間の記事一覧

「フレーム=コンテクスト=連続性」の資源としての無意識

強迫化した視覚優位の自意識が、自己を周囲世界から切断し(実体化)、自己の適切な有限化を許さない。 これは、去勢のフレームが定まらず、無限の現実に直面してしまう恐怖へのリアクションでもある*1。 ▼説得力のある内発的なフレームの見えないまま、外側…

ひきうけの二重化

「意識=視覚」での引き受けが強迫化すると、無意識(いつの間にか引き受けられていたもの)がわからなくなり、その場にいる理由が失われる。 そうすると、その「理由のなさ」を穴埋めようとして、視覚化を徹底する自意識がますます暴走する。 「泥沼の再帰性…

解離的なひきうけ――「視覚を区切ること」

『解離のポップ・スキル』(p.226-7)、東浩紀との対談での斎藤環の発言より: 起きていることや、見えていることの印象というレベルでは、やはり私は東さんと一致する点が多いとあらためて思いました。ただ、象徴界による媒介の衰弱という点については、ち…

死活問題としての交渉能力 (『引きこもり狩り』追記)

ひきこもりの「全面肯定」を標榜してしまうと、対等な交渉関係ではなく、イデオロギーの覇権が優先課題になってしまう。 ひきこもっている本人の独立した交渉能力の向上は死活問題なのに(それ以外にどんな支援ミッションがあり得るのか)、まずもって「イデ…

交渉関係として露呈する「中間」

環境管理と動物化(東浩紀)は、交渉という対人要因を免除していく。 それは「人間的」と見える対話や熟慮よりは「生理的反応」を要求するが、《交渉》という要因がなくなることはない。 東浩紀: アニメ誌で、『セーラームーン』の幾原邦彦監督がちょっとい…

去勢論メモ

私の議論は、「去勢のフレーム形成がうまくいかない」という、そのこと自身を考える自己言及的な作業として、プロセスそのものとして、自己形成している*1。 自分を形成することの困難そのものを扱う形で、去勢のフレームを作っている。 ▼硬直したフレームを…