2007-03-19から1日間の記事一覧

「参加できない」の余談

1968年生まれである私は、ファースト・ガンダム(1979年)に相応に熱中した*1後、待ちに待った『Zガンダム』(1985年)で落胆とショックを味わったのだが(「わからない」「世界観に入っていけない」)*2、あの新しい「演出作法」への違和感と「取り付く島の…

メモ――文脈と統辞

「勉強不足だから内容がわからない」ということはある、しかし逆に言うと、「内容がわかってもわざわざそれに取り組む必然性がわからない」ということがある。 ▼「生活のために乗り切るべきだ」と言われる。 「生き延びるのが至上命題」なら、それ以上問い詰…

文脈と学習――斎藤環氏の「PS と OS」

PS =「Psychoanalitic Subject、精神分析的主体」、 OS =「Organic Subject、器質的主体」 斎藤氏は、ベイトソンの学習理論から「文脈=コンテクスト」を論じるのだが、 これはPS側の理論では説明できず、OS側でしか記述できないという。 「文脈の認識」で…

「参加」についてのメモ――象徴的、想像的

ひきこもっている人は、想像的なレベルでは社会参加できていないけれども、象徴的なレベルでは社会に参加させられている。 (斎藤環、3月6日の講演) 「想像的 imaginary」 「象徴的 symbolic」は、フランスの精神分析家ジャック・ラカンのジャーゴンで、日…

「文脈がわからなくなる」

私は日常的に、自分の生きている前後の文脈がわからなくなり、 それは理知的にわかるとかわからないとかいう悠長な体験ではなくて、 発作のように向こうから襲ってくる非常に制御しにくい感覚で、 歩いているときにいきなり上下前後左右がわからなくなって卒…