2005-04-21から1日間の記事一覧

ニーズの正当性――「消滅する媒介者」?

当事者が、「ニーズを抱えたもの」*1であるとすれば、当事者が原理主義的に活動するとすれば、それは「みずからのような苦痛に満ちた存在が社会的に再生産されないために」、「自分のニーズが消え去るために」活動することになる。 先日の日韓会議の際、知人…

「学校」と「社会」――改革・補完・選択肢

あらためて、id:snusmumrik さんより。 著者は、論文の最後に「終わらない不登校」を提案する。 不登校経験者に対し風当たりの強い社会には「出ていかない」。 そして不登校者たちによるサブ社会(?)の構築をするのだ。 それは「選択の物語」のさらなる延…

「特権」――拒否と活用

『不登校は終わらない―「選択」の物語から“当事者”の語りへ』末尾より(強調は引用者)。 これらの実践を通して彼ら*1が提示するのは、「不登校後の進路」ではなく「不登校という進路」の存在である。 このようなライフコースを今後も示し続けてゆくことは、…

これに関連し、次のご指摘が決定的です。

「『無関心』がもっとも乗り越える方法に近いのでは」 以前、次のように書いたことがあります。 「当事者」というポジション設定。 葛藤を置き去りにしてきた、という罪悪感。 わたしは葛藤を徹底して生きるだけ。 「当事者」とは「葛藤を生きます」「葛藤を…

以下、ご指摘についてメモ。

「『当事者の語りのあり方』は、同じ個人の中でも揺れ動くことがままある」 おおまかに個人を分類することはできると思いますが、自分のことを考えても、おっしゃる通りだと思います。 むしろ貴戸さんの指摘は、各個人が「自分は今どのように考えてしまって…

 原理主義の是非

貴戸理恵さんというと、東京シューレや社会学研究者からのクレームにばかり目が行ってしまいますが、id:snusmumrik さんによる、本の主張そのものに即した疑問: 「たかが不登校って言っちゃダメなのかい?」 この時期にこのエントリーは、頭の整理をするの…