動詞的であるはずの《存在》が、名詞として扱われている

《存在》というのは、実質的に動詞的(時間的)でしかあり得ないのに、無理に名詞として、つまり無時間的に、たんに論理的に扱うわけですよね。どうもこのあたりで、概念の位置づけを間違ってる気がしてしょうがない。

《名詞的/動詞的》って、人類史的なテーマだと思う。概念というものの位置づけの問題として。